サハリン東部・チュレニー島

大繁殖するトド・オットセイ 深刻化する漁業との共生

 海獣の生息地として知られるサハリン東岸のチュレニー島でトドが急増し、大繁殖地となっている。専門家は、道内の日本海側で漁業被害を引き起こしているトドの多くが、同島から来遊しているとみる。撮影のため、現地を2009年夏に2度訪れた寺沢孝毅がその現況を報告する。

(2009年9月23日 北海道新聞総合2面に掲載の元原稿)

トド、20年で10倍の2000頭

浜辺をぐるりと埋めつくす海獣

 チュレニー島は南北600メートル、東西90メートルの小島。背骨のような南北に走る小高い岩場を、砂や小砂利の浜が取り囲む。私のチュレニー島訪問は1991年に次いで18年ぶりで、2009年6月下旬から7月上旬、8月中〜下旬の2度に分けて4週間滞在した。

島北端の岬。西側だけでなく東海岸(左側)にもオットセイとトド(茶色の個体)のハーレムが埋め尽くす(8月13日撮影) サハリンチュレニー島への上陸は、18年ぶりだった。その当時はオットセイが4万頭、ウミガラス数10万羽などが繁殖していた。獣と鳥の糞の鼻を突く匂いと、ウミガラスの鳴き声をかき消すオットセイの唸り声が島を支配していた。圧倒されるような海獣たちだが、西側の海岸には上陸していなかった。その状況に変化があるのかどうか、それが私の最大の関心事だった。
 6月下旬、島に上陸して目を疑ったのはトドの個体数だ。18年前は、島の東側だけにそれほど目立たず上陸していたが、島の周囲に切れ間なくハーレムが存在しているのだ。誕生して間もないパップ(新生獣)も母親に寄り添う。単なる上陸場所から、大繁殖地に変貌していたのだ。
 変化はトドだけではなかった。日を追うごとに続々と上陸してきたのはオットセイのメス。すでに浜辺で待ち構えていたオスが、上陸してくるメスを従えてハーレムをつくろうとしている。そうした状況は島の東側だけに限らず、周囲の浜辺全体に及んだ。メスたちは上陸して間もなく、次々と一頭の子を出産した。
 8月中旬、2度目の取材に訪れたとき、浜辺はオットセイのパップの群で黒く埋め尽くされていた。一方、トドの子育てはピークを過ぎて、巨大なオスをはじめメスやパップは減っていた。
 こうした状況を目の当たりにして、私は北海道の漁業者のことを思った。漁具や掛かった魚をトドに食いちぎられ、被害を訴え続けてきた漁師たち。増加の一途をたどる被害とトドの目撃情報。それに加えて、オットセイによる被害と個体数の増加を指摘する声もここ数年後を絶たない。今回の取材はそれを裏付けた。

深刻化が予想される漁業被害

回遊ルート分かっても被害減らなければ漁業者が哀れ

焼き印されたトドのパップ(新生獣)とメス(8月15日撮影) 道内のトドによる漁業被害額は2008年度が13億8600万円、1992年度以降、毎年10億円を超えている。このなかにはオットセイによる被害も含まれる。北海道では年間144頭(2008年度)の駆除枠を設け、長年にわたり漁具の改良等を研究・実用化してきたが、未だ根本解決にはほど遠い。
 チュレニー島の海獣の研究を続けてきたサハリン州漁業規制局海洋研究部局の監督官タチアナ・チュパーヒナさんによると、「2008年に上陸したトドは2000頭(成獣のみ)、オットセイは95,000頭で、誕生したオットセイのパップが34,000頭にも及んだ」そうだ。「トドの繁殖地としては北千島のロブシキ島よりも大きくなり、サハリン州最大になった」という。
 「北オホーツクのイオニア諸島から大量に来ているのです。これからはチュレニー島生まれのトドの群が見られるようになるでしょう」。そうタチアナさんは付け加えた。
 私が島に滞在していた7月1日、日露の研究者が上陸してトドのパップの胴体に焼き印を押した。番号や記号から回遊ルートなどを解明する目的だ。こうした野生生物の生態研究は、論文にして終わりとなることが多い。しかし、そうではなく、人と野生生物との共生のために役立って、はじめて本当の成果といえるのではないか。つまり、トドの回遊ルートが分かっても、漁業被害が減らなければ、漁業者は納得しないだろう。調査・研究に税金が使われているとすればなおさらだ。野生生物の生態研究が社会還元される見える仕組みが必要であるとつくづく感じる。
 この18年で急激に増加したチュレニー島の海獣類。北海道から500キロの島の実情は、海獣による漁業被害がますます深刻化することを物語る。海獣対策を担当する行政や研究者は、こうした状況をどの程度把握し、事の重大さや緊急性をどう考えるのだろうか。海獣の被害を受けにくい漁法への転換などの根本対策は、待ったなしではないのか。このままでは被害に苦悩する漁業者が哀れでならない。(おわり)