寺沢孝毅の自然「迫」写

森から川へ、そして海へ -----守りたい生態系がここにある

北の大地でつながる命

(2008年7月7日 北海道洞爺湖サミット特集紙面、北海道新聞に掲載)

第一話 海と大地を結ぶ命

北海道の屋根、大雪山。銀色の流れが命をつなぐ

北海道の屋根、大雪山頂上付近の紅葉山の恵を運ぶ川


 大雪の山々を空から見下ろしたことがある。標高の高いところの樹木が、紅葉の佳境を迎えようとしていた。山頂のガレ場を少し下ったところに、空の光を反射させる銀の流れがあった。山岳地帯の栄養を海まで運ぶ毛細血管のごとく、私の目に映った。
 色づいた木の葉は、間もなくひらひらと地面に降り積もる。やがてバクテリアに分解され、養分として土へと還っていく枯れ葉。命を閉じた動物も、朽ちることで地面に同化してゆく。山々に降った雨や雪が、命が形を変えたそれらの栄養分を低い方へと運び、やがて海へと到達させる。小さな沢や、それが合流する河川は、まさに血管そのものの役目を果たしているのだ。

定置網から揚げたばかりのカラフトマス大地と海 どちらが欠けても命は育たない


 川面にうつ伏せになり、水中メガネごしに遡上するカラフトマスを見たことがある。流れに逆らい、上流に向かってただひたすら進もうとする姿が、震えるほど私の胸を打った。体を白くボロボロにすり減らしても、その目は生きる方向を見据えている。そうしたエネルギーの源は、いったいどこからくるのか。
 海だ。冬、清流で誕生したカラフトマスの幼魚は春、大地の栄養をたっぷり含んだ雪解け水にのって海へと旅立つ。その後、2〜3年を回遊し、成熟して川へ戻ってくるのだ。海を豊かにしてくれる大地の流れで子孫を残し、そのあと生涯を閉じてゆく。
 ゆらゆらと尾びれをなびかせても平衡を保てない体。やがて迎える最期のとき。私は、命を燃焼し尽くしたその姿に畏敬を感じながら、大地の栄養となり還ってゆく循環の「妙」に深い思いを巡らせた。
 海と大地は連動している。大地に豊かな森があれば、海に栄養がたっぷり注がれ、そこに多様な命の存在が可能となる。その命はやがて大地へ戻り、森を育てる。海と大地は、互いを映し合う鏡なのだ。

シロザケをむさぼるヒグマ命の連鎖を守るために


 幼少の頃を過ごした田舎を、今でも鮮明に覚えている。天塩川の支流のさらに枝のような流れで、黒ずんだ大きなヤマベを何本も釣り上げた。秋にはマスも手づかみできた。ふと思い立って訪ねてみると、その変貌ぶりはすっかり私を落胆させた。立派な林道と消えた森。釣り糸を垂らすまでもなかった。
 海と大地が響き合う北海道。ふたつを結ぶ動脈のような流れが、いま、北の大地にどれほどあるのだろう。ヒグマがサケやマスを追いかけられる河川が、知床以外にいくつ存在するのだろうか。
 私たちは、いまある自然の素顔を守るのは当然として、失った命の連鎖や循環の回復のため、何が必要で何が不要かを選択する目を持たなければならない。

第二話 地球環境のセンサー「流氷」

冬の使者、流氷が、私たちに警告するものとは

今、北海道の自然が危ない

流氷が接岸した海のなか流氷の海、オホーツク そこから始まる命のドラマ


 2008年3月、待ちに待った流氷が羅臼に接岸した。氷塊の下を潜水できる4年越しのチャンスが巡ってきたのだ。
 さっそく岸からエントリーを試みる。うっすら張った氷を割りながら、腰まで海に浸かる場所まで行って海中へと沈んだ。マイナス1.8度の海水が直接触れる頬は、間もなく感覚が麻痺していった。そんな水の冷たさを忘れさせるほど、海中の風景は幻想を見ているようだった。
 岸の近くは氷のトンネルのようで、くぐり抜けるように泳ぐ。大きい氷になると深さ6メートルの海底まで届き、その造形とブルーの濃淡が独特の世界をつくり出す。
 氷の表面に茶色い藻を見つけた。アイスアルジと呼ばれる植物性プランクトンだ。流氷を主な生活の場にするこのケイソウ類は、小さなエビに似たオキアミの重要な餌となる。オキアミは魚の餌になるのはもちろん、多くの海鳥やミンククジラなどの食を支える。海の生態系の基礎となる生物なのだ。

伸びやかに海中を泳ぐ冬の使者トド縮小する流氷で生息域を失う生き物がいる


 2004年の早春、氷の海に何度も船を出した。そして出会ったのはクラカケアザラシの赤ちゃん。地元の漁師でさえ、めったに見ないという。海をさまよい、やがて解けて消える氷の上で誕生した命。この星には神秘と美しさが満ちあふれ、それが無限であることをつくづく思う。
 その翌年から3年続けて、南下する流氷は極端に貧弱となった。もちろんアザラシの赤ちゃんに会うことは叶わない。
 オホーツクの流氷は確実に縮小している。北海道にはまずまずの量が押し寄せた2008年だが、オホーツク海全体では平年の面積には及ばなかった。流氷の縮小がさらに進むとアイスアルジが減少し、それはオキアミの減少にも直結する。もちろん漁業への影響も避けられない。

流氷とともに南下してくるオジロワシ忍び寄る温暖化の危機


 北海道のオホーツク海は、北半球で最も南で流氷が見られる場所だ。千島列島が海を湖のように閉ざし、そこにアムール川から大量の真水が注ぎ込むなど、いくつかの条件が整うことではじめて凍る。重要なのは大陸から吹き出す寒気であり、ほんの数度の温暖化で北海道に流氷が来なくなるという。
 流氷は温暖化を計るセンサーだ。縮小傾向の流氷は、私たちが地球で生き続ける上での危機を警告している。私たちの消費や欲望がこの星の絶妙な仕組みを狂わし、それが何の罪もない生き物たちの命を奪い、私たち自身にも異常気象などとして危害が忍び寄る。
 北海道の冬の厳しさ、流氷の神秘を過去の記憶にしないことが、人の営みを守ることだと思う。