トキに人生を捧げた近辻宏帰さんを偲んで……

『トキが飛ぶ空』 ー あなたがいなければ、トキの今はなかった ー

 09年5月5日、近辻宏帰さんが急逝されました。私は驚きと衝撃をもってその訃報を受け取りました。故人のご功績に敬意を表させていただくとともに、心よりご冥福をお祈り致します。
 08年9月25日のトキ野生放鳥のときには、大学の同窓に当たる生物同好会の方々の仲介とご厚意により、近辻さんとは取材・探鳥と大変楽しいひとときを過ごさせていただきました。この5月8日からは天売島に来られ、生物同好会のメンバーと探鳥をされることを、奥様共々楽しみにしておられました。もちろん私も心待ちでした。それが直前になってこのようなことになり、ただただ残念でなりません。8日には予定通り、近辻さんが天国より天売島へ来られると信じ、待っていた方たちとともに探鳥を致しました。
 ここに2008年の取材記事を、哀悼の意を込めつつ掲載させていただきます。

(2008年11月13日から北海道新聞夕刊文化面に掲載)

『トキが飛ぶ空』 第一話 前祝い

佐渡に吉兆 コウノトリが来た

 2008年秋、新潟県佐渡市で人工飼育されていたトキが放鳥された。国の特別天然記念物トキを野生に復活させることが目的だ。プロジェクトの当初からかかわってきた佐渡トキ保護センター元センター長、近辻宏帰さんらの思いを取材した。

水場に降りて餌を探すコウノトリ(左から2羽目)=佐渡市内「近辻さん、コウノトリが佐渡の方角に飛んでいったそうです」。
 新潟県佐渡市新穂に住む佐渡トキ保護センターの元職員、近辻宏帰さん(65=当時)の元に情報が入ったのは、2008年夏の8月3日のことだった。能登で観察されたという。翌日、珍鳥コウノトリは本当にやってきた。実に佐渡では35年ぶり。近辻さんは瞬時に「前祝に来てくれた」と思った。
 コウノトリはトキに近い種。兵庫県や福井県でかつては繁殖していたが、その姿は消えた。兵庫県豊岡市で人工増殖が試みられ、成果が上がって2005年以降、試験放鳥されている。今回飛来したのは、足輪がないので大陸からの個体だ。
 佐渡のトキも同じ道をたどり、野生への放鳥が9月25日に迫っていた。
 また、能登といえば、本州の野生トキ1羽が最後まで残った場所。その1羽は1971年に捕獲され、佐渡の新潟県トキ保護センターに収容された。近辻さんは開設当初の1967年からそこに勤め、トキを絶やさないため生涯を懸けてきた。ニッポニア・ニッポンの学名を持つトキ。1981年に中国で発見されるまで、佐渡に残るのみと考えられていた。
 近辻さんのコウノトリへの眼差しは熱いものがあった。
「トキを放した時のシミュレーションになるかもしれない」。
 餌場の環境も似ていて、コウノトリが心地よく居られれば、トキも安心して暮らせるはずだ。何より、赤ちゃんを運んでくるといわれるこの鳥は、近い将来、野生トキの佐渡での繁殖を暗示するかのよう。
 近辻さんは、この鳥に不思議な意味を感じずにはいられなかった。

第二話 ビオトープ

生息場所づくり 広がる輪

放たれたトキが安心してすめるよう、佐渡市清水平にビオトープを準備してきた近辻さん「懐かしいというよりも、トキがここに帰ってきてほしいという気持ちです」。
 山林に囲まれた佐渡市清水平の山奥で、トキ放鳥の前日、近辻さんが言った。ここに新潟県トキ保護センター(旧名)があった1993年まで、元職員の近辻さんは26年間、山道を通った。センターは山里に移転され、近辻さんは2003年に定年退職を迎えた。
 30年ほど前まで、清水平では野生のトキが餌をついばんでいた。センター跡地にはいま、近辻さんらや子どもたちが手がけてきた田んぼや水辺が広がっている。地元の子どもたちの課外授業や、島外の学校が修学旅行などで佐渡を訪れた時、近辻さんはトキの講師役を買って出る。屋内でトキの話をしたあと、子どもたちと清水平まで行って、トキが野生復帰しても安心して過ごせる場所を準備してきた。
 「トキのすばらしさをいちばん伝えたいのは子どもたち」と近辻さん。それがきっかけとなり、身の回りの自然に目を向けてほしいと願う。
 こうしたビオトープ(動物の生息空間)づくりの輪は、島のあちこちに広がってきている。稲作農家は農薬や化学肥料を減らし、トキの餌場となる水田づくりを意識する。佐渡市はトキ認証米制度をつくり、約270軒の生産者が参加する。大手量販店がこれを販売し、利益の一部が佐渡市トキ保護募金に寄付される仕組みだ。
 「将来、佐渡のトキが増えて、君の町へ飛んでいったとしたら、トキがすめる環境になっているかなあ」。
 近辻さんは、島外から来た子どもに問いかけるという。トキは自然の生き物の代表選手。他の生き物がいなければ、トキも人も生きられない。トキはそんな自然の仕組みを、一部の関係者だけでなく、島に住む多くの人に考えさせた。トキの野生放鳥は、島の人たちの並々ならぬ努力の結果だ。

第三話 野生放鳥

「鳥の目線で」経験は次代に


大空にトキが舞った瞬間(8月25日)=佐渡市新穂9月25日、その時がついにきた。秋篠宮さまと紀子さまが2羽のトキを放たれた。続いて8羽が舞い上がった。佐渡トキ保護センターの元職員、近辻宏帰さんの生涯をかけた仕事が報われた瞬間だった。
 近辻さんの道のりは、「苦難」の一言では言い尽くせない。生態の解明、飼育や繁殖技術の確立など、乗り越えなければならない壁がいくつもあった。しかし本人は「苦労とは思わない。それが当たり前だと思っていた」と話す。
 1981年、賛否両論のなか、佐渡に残された最後の野生トキ5羽を全鳥捕獲した。佐渡の空に、これでトキが舞うことはなくなった。近辻さんらがそれを受け入れるが、間もなく数羽が死亡する。このあともトキの飼育や繁殖がうまくいかず、記者会見のカメラの前で何度も頭を下げ、そうやって、世間の批判の矢面に立った。
秋篠宮両殿下にお声をかけられ深々と一礼する近辻さん。いつものように野球帽は後ろ向きだ「トキに対して申し訳ないという気持ちでした。二番目には世間に対してです」と近辻さんは振り返る。
 1981年、絶滅したと思われていた中国でトキが発見され、日本への導入により1999年に人工繁殖が成功。一気に希望の光が見えた。一時は1羽だった飼育羽数が、放鳥時には122羽までになった。
 「失敗しても、そのなかで色々なデータを蓄積してきたことが大きかった」と近辻さん。また、生き物を野生復帰させる上で大事なことをこう話す。
 「人間の感情で見ると間違えることがある。トキの目線で見なければいけないと思います」。
 その生き物の立場に立った、冷静な観察と分析が必要なのだ。近辻さんの経験と教訓は若い世代に、さらに次代を担う子どもたちへと受け継がれようとしている。佐渡の森でトキのヒナが育つのももうすぐだ。(おわり)