「好き」が、はじまりではあるけれど「好き」だけでは、終わらせない。

高齢化率50%を超える、北海道羽幌町に属する天売島(てうりとう)で、1000坪の土地を借金をして自分で買い、「海の宇宙館」を作ってしまった寺沢さん。周囲12kmの小島で、多くの人たちに天売島の素晴らしさを伝え、誇りに思ってもらうことに全力を注ぐ。海鳥の保護と地域社会の共存のヒントをうかがった。(2008年9月「NPOのひろば」No.54巻頭インタビューに掲載)

聞き手:萩原なつ子(日本NPOセンター常務理事)

インタビュー 前編

「青い鳥」が導いた島

━━━寺沢さんが天売島に関心を持ったきっかけは『青い鳥』だそうですね。

  • 小さい頃に出会った1羽の青い鳥に魅せられ、鳥にぞっこんほれ込みました。北海道の教員採用試験の面接の質問で、僕は“天売島に行きたい”と答えたのです。鳥がいっぱいいて先人がいないところへ行き、自分が何か新しい報告をしたい。そういう想いが漠然とありました。そして希望通り天売島に勤務することに。
  • 1982年に見た赤岩対岸のウミガラス すぐ「とりっこ先生」というあだ名がつきました。海鳥や渡り鳥の調査に没頭し、絶滅に瀕するウミガラスの実態を行政などに報告しました。島の人たちはそうした活動を理解する一方で、内心ではちょっと危険人物だと思ったようです。海鳥を守ろうとすると、漁業に影響が出てしまう。漁網に海鳥が引っ掛かって死んでいる実態もあるからです。それで選んだのは、本当の意味で島に住むことでした。
  •  公立学校の教員だから3、4年で転勤の声がかかります。転勤をしても海鳥に関わっていくことはできました。休日に、島に通うとかして。でも、これでは住民の目線ではない。自分はそうは思わなくても、島の人にはそう思われてしまいます。それで10年で学校を辞め、自然写真家の職を選んでそのまま天売島に住み続けました。そこで初めて本気が伝わった。島ならではの苦労や障害、痛みを、自分も住人として共有し、漁業者の怒りや悲しみ、辛さをより深く感じながら海鳥を見られるようになりました。当然物事の捉え方や言い方も変わるし、外に発するメッセージも変わります。そこで島の人と、心と心の歩み寄りができた。住んだということは本当に大きなことでした。

海の宇宙館の内部━━━「海の宇宙館」はご自分で設立したそうですね。

  •  天売島はオロロン鳥(ウミガラス)やウトウの繁殖地で有名な地域。でも、地域ぐるみで海鳥を守る活動など、島には何もありませんでした。
  •  町に、島を訪れる人や島の住人に対し、もっと海鳥のことを知らせるべきではないか、と教員時代に訴えました。相手にされず、町を動かすために港の近くの一等地1000坪ちょっとを借金して買いました。この土地に展示施設をつくりませんか、と。それでも駄目でした。
  •  学校を退職して不安定な暮らしのなか、わずかな資金を貯めました。つくった会社で1,000万円を借りて1999年、「海の宇宙館」は完成しました。

━━━借金を抱えてやる、というのは相当な覚悟。何が突き動かしたのでしょう。

  •  必要性ですよね。自分はこの島には必要だと確信していました。新しいことをやり始めた人には冷ややかな目もありますよ。でも、持続していると理解者も増えてくる。これが大事なところ。やっていることが楽しくなかったら、続かないし、継続しない活動はダメですね。(つづく)

インタビュー 後編

天売島という「小さな地球」から見るこの星

━━━「海の宇宙館」のサポーターを増やすための努力は?

  •  必死にピーアールをしました。それと、写真を入れ替えたり、リアルタイムの自然情報を掲示して、季節ごとに提供する内容を変えたり。それから天売島ファンクラブを作っています。年会費1,000円で、隔月で年6回の通信を発行しています。島の自然や暮らしはもちろん、自分の活動や考え方も載せています。通信は10年以上続けていて70号を超えました。天売島に関心を持ってくれる人を離さず、つなぎとめるということと、その時々のことを記録にとどめるという意味があります。

━━━「海の宇宙館」というネーミングは?

  • 北海道天売島(てうりとう) 天売島には100万羽の海鳥が繁殖し、同じ島に人の暮らしがあります。人と自然がどう向き合えば共生できるのか。海鳥の保護は、結局そうした問題に到達します。つまり、周囲12キロの小さな島で起きている様々な事象の原因と結果は、地球にも通じるということ。天売島はまるで海の宇宙に浮かぶ地球だ。地球のモデルだ、と思いました。「海の宇宙館」では自分の写真でそれを表現したかった。
  • 天売島という地球を見直すために、いろんな「星」に出かけています。西表島という星だったり、ボルネオ島という星だったり、北極圏という星だったり。外の世界を知れば知るほど、新しい天売島が見えるもの。自分の写真や執筆は、天売島を見つめなおし、検証を繰り返すなかで生まれたメッセージです。
  • カナダ北極圏の町ペリーベイで出会った子どもたち 島の人口は350人ほど。高齢化率が5割で若者が減っています。気になるのは、天売島のような地域の多くが衰退に向かっていること。おいしい空気や食料を生産する田舎こそ、もっとも大切にされるべき。都市に住む大勢の命を支えている訳だから。その視点を多くの人が見失えば、人類は危機を迎えます。
  •  島に暮らすことで見えることは、自分の写真の意味に直結しています。これからも僕の拠点は天売島です。

━━━教え子たちに期待することは?

  •  彼らの役割は大きい。最初島に来た時、子どもたちは海鳥の名前すら知りませんでした。もちろん島が世界的に貴重だなんて思ってもいない。そこで学校で野鳥クラブを結成して、海鳥や渡り鳥の観察や保護をすることに。そうして育った子どもたちはいま、島の若者としてバリバリやる立場にいます。もちろん僕の理解者で、大きな力。教育って大きいですよ。重要なことは、一人でもいいから人材が地域に育つこと。まだ自分も少しは健在だと思うから(笑)、教え子たちと行動を共にしながら地域を託していきたいですね。教え子たちは、やりますよ。自分のためだけでなく、周りのためにという思いで。